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【取材記事】発信者側になってできる地域との関わり方

主催:
応援市民:吉田英文

今回はIターンし、現在は富山県氷見市在住の吉田英文さんにお話を伺いました。吉田さんは東京から移住し、高校の教員として南砺市の高校生たちと地域に出て、地域について調査したり魅力を発信したりする活動をなさっていました。移住して、どのように地域の人たちとの関係を作られたのでしょうか。

<プロフィール>
吉田英文
1985年、島根県生まれ。大学進学とともに上京。東京で高校の教員として働いたのち、2017年に奥さんの実家がある富山県にIターン。南砺福光高校に赴任し、社会科の教員として生徒たちが地域の人と出会える機会を増やしてきた。現在は、氷見市で公務員をしている。

高校生が東京で福光の情報を発信する

―――移住してきたこの富山、どんな印象ですか?

私の出身の島根と似ているところも多いです。散居村は島根県の出雲地方にもあり、散居村サミット等でも交流があると聞いています。「福光」という地名は島根にもあります。また富山県は歴史学者のスーパースターを何人も輩出しており、黒田俊雄先生や安丸良夫先生の本を学生時代からよく読んでいました。富山に縁のある歴史学者ですごい方はたくさんいらっしゃいます。

―――え!全然知らなかったです(笑)

 民芸もすごいですよ。棟方志功が南砺と縁があるのは有名ですが、最近、D&DEPARTMENTのナガオカケンメイさんも、となみ民藝協会の会員になられたと雑誌で読んで知りました。

 ―――富山に住んでいながらも、そんな高い評価をされてることを知らない人は多いですよね。

そうですね。僕が富山に来て南砺福光高校に赴任したのですが、生徒たちが部活などで地域に出ていく機会はあっても、授業で学校外に出ることが少ないと感じていました。市外から福光に通う生徒も多く、南砺市や福光に興味を持っている生徒も少なくありませんでした。そこで、もっと地域に出ていったり、地域の方にも入ってきてきたりしてもらうと、生徒たちの福光への関心もより高まると思いました。

 ―――高校生と、どんな風に地域と関わっていったんでしょうか。

南砺福光高校では、2年生の夏に東京へ進路を考えるための研修旅行に行っていました。東京でオープンキャンパス等に参加するのですが、ただ受け身で終わってしまうともったいないと感じていました。せっかく東京に行くのなら、東京で福光の魅力を発信してみようと生徒に提案しました。

―――発信するということは「見るだけ」の修学旅行じゃなくて、生徒が「見られる側」になるんですね!

そうなんです。その年は、4つのプロジェクトが立ち上がりました。例えば、南砺市の民藝について英語でPRするプロジェクト。飛騨高山や信州松本のように民藝が盛んで外国人観光客が多い地域が全国にはたくさんあります。同じように民藝がさかんな福光を生徒が取材していく中で、一般公開していない南砺市内のコレクターのコレクションがあることがわかりました。それらのコレクションや福光の魅力をマップにしたりしてまとめることができ、最終的には日本民藝館で発表させていただきました。このマップは、海外の人にも福光を発信するツールの一つとして活用されることを願っています。

他にも、お茶の水女子大学附属小学校の学童疎開について調査し、小学生向けの教材を作成するプロジェクトもありました。疎開のことは地元ではあまり知られておらず、当時を知る方もかなり高齢になっていました。いま記録に残さないと失われてしまうという危機感から、生徒たちが疎開を受け入れる側だった福光の方や、疎開してきた児童だった方に取材をして、お茶の水女子大学附属小学校の先生方や疎開当事者の方に発表をしました。 

―――東京で先生をなさっていた時と、福光で先生をなさっていた時とでなにか変化や違いはありましたか?

とてもあります。私の専門は歴史なので、ただ教科書の話をしても面白くないと思い、その地域の歴史について調べて、良いものがあれば生徒に話したりするんです。東京だと地域との関わりはとても薄かったです。高校の近所のビルにいる人が地域の人かといえば、ただそこに勤めているだけで地域の人とは言えないという印象を持っていました。東京で教員を続けていたら、ここまで地域と連携した授業に取り組もうとは思わなかったです。南砺市で教員をさせていただくことで、私自身とても成長させていただきました。

―――移住してきた側なのに、地域のことについて生徒と調べていくのは大変ではなかったですか。

その地域について様々なことに目を向けやすいのは、むしろ移住者の方だなと思います。僕は島根県出身ですが、島根県についてはここまで詳しく調べたいなと思わないです(笑)。旅行先のほうが、ガイドブックをみたりして詳しくなりやすいという感覚に近いですね。

―――知り合いのいない土地に移住してきて、地域の人との関係はどうやって作られたんですか?

最初の1年は新しい土地、職場に慣れるのに必死で、本当に余裕がなかったです。とにかく家と職場の往復でしたね。2年目になって気持ちにも余裕が出てきて、地域のイベントに参加し始めました。地域のイベントでパン屋を出店していた妻のおかげも大きいです。富山は人と人との関係がすごく近く、知り合いの知り合いレベルでほとんどの人に会えてしまうくらいです。例えば、授業でこんなことを聞きたいと思えば、あの人に頼めば誰か紹介してもらえるかなという感覚で繋がっていけます。

―――たしかに、知り合いができ始めるとはやく馴染めますよね。これから地域に関わっていきたいと思っている方に、なにかアドバイスをいただけますか。

自分の経験でいえば、とりあえず1年間は受け身でも大丈夫。短いスパンで移住の成否を決めないほうがいいです。1年間はうまく行かなくても、それが永遠に続くわけじゃないですもんね。そこから、がんばって発信側になると、一気に知り合いが増えると思います。例えば、マルシェのような個人がお店を出すイベントであれば、技量はそこまで高くなくていいので(笑)出店側になれば、お客さんとも関係ができていくし、出店者同士でも知り合うことができます。勇気を出して、得意なことで発信者側になると楽しくなってくると思いますよ。

発信者側として地域に関わっていったり、顔を知ってもらったりすることで、地域との関係を築かれてきた吉田さん。知り合いができることの重要性が高いのは、確かに地方ならではですよね。そして、それが地方に住むこと、地域と関係を築くことの面白さでもあるのかなと感じました。